通りすがりの〇〇な競馬ブログ

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【通りすがりの思い出語り】1999年 産経賞オールカマー(GII)

どうも、通りすがりです。

判官贔屓という言葉をご存じでしょうか。ほうがんびいきと読みますが、意味は次のようになります。
「不遇の英雄、弱者や敗者、また実力や才能はあるのにしかるべく待遇のえられない者たちに同情心や贔屓心をもつこと。また、そのような気持ち。」(goo辞書より引用)
日本人の気質として判官贔屓の人が多いと言われますが、私が指定交流競走でやたら地方馬に肩入れするのもこの判官贔屓のせいもあると思います。
なぜ冒頭から判官贔屓の話をしたかと言うと、私の場合に競走馬を好きになる理由としてこの判官贔屓が関連してくるからです。
力はあるのに主役にはなれない、つまり何度もチャレンジするもG1レースを勝てない馬を応援しているうちにその馬が好きになるという理屈です。
私が過去に応援していた馬はG1をバンバン勝つような馬ではなく、チャレンジするも勝てない馬が多かったのです。
そして今回の思い出語りで紹介する馬は、この記事のタイトルでもある1999年のオールカマーの勝ち馬、ホッカイルソーになります。

ホッカイルソーは1992年生まれの牡の競走馬で、父はマークオブディスティンクション、母はホッカイラブリーという血統です。
3歳(今の2歳)の秋にデビューすると、デビュー戦は10着と大敗してしまいましたが、その後は安定した走りでレースを重ね、クラシックに出走します。
結果は皐月賞4着、ダービー4着、菊花賞3着というものでした。このあたりの世代は、トニービン、ブライアンズタイムと続いた輸入種牡馬の産駒の活躍に続いて起こったサンデーサイレンス旋風の中でサンデーサイレンス産駒vsその他の産駒のような戦いとなり、非サンデーサイレンス産駒は苦戦を強いられている状態でした。
ホッカイルソーもまさにそのような状況の中で、好走するもなかなか勝ち星に恵まれない中で競走馬としてレースを重ねていきました。そんな中、5歳(今の4歳)の春には日経賞を勝利しついに重賞制覇を成しとげます。
その後天皇賞春でサクラローレル、ナリタブライアンに続く3着と好走しこれからというときに残念ながら故障で長期休養に入りました。なかなか復帰でずにこのまま引退かと思っていましたが、約3年後に復帰します。
ただ、長期休養の影響か年齢的な衰えか、なかなかいい頃の走りをみることはできませんでした。そして、その後も勝てないレースが続いていきます。そして迎えるのが1999年のオールカマーとなります。

1999年 産経賞オールカマー(GII)

このレースでは鞍上に初騎乗となる江田照男騎手を迎えます。江田騎手といえば大ベテランとなった今では左回りのレースで馬券に絡む印象ですが、昔は中山で行われる重賞で人気薄に乗って度々穴をあけることがあり、当時の私は中山で行われる重賞を予想する際には江田騎手が乗る馬には3割増しくらいで評価していました。
オールカマーの前に出走した新潟記念で2着と好走し復調を感じさせていたホッカイルソーはオールカマーで3番人気となります。1番人気は前年のオールカマーを制していた中山巧者のダイワテキサス、2番人気はこちらも前年のオールカマーで2着した菊花賞2着馬のダイワオーシュウでした。
私はもちろんホッカイルソーからの馬券を買って応援していました。
レースは好位から押し切りを狙う人気の2頭を直線に入ってすぐに捉えると、この馬らしい長く切れる末脚で粘るダイワオーシュウを振り切って、復活となる勝利を見事に重賞で飾ったのです。
ホッカイルソーの復活と馬券が当たったことで、その日は私にとって最良の一日になりました。
ただその後は再び勝てないレースが続き、翌年の天皇賞春で5着となったのを最後に引退します。
引退後は種牡馬入りするも繁殖相手に恵まれずこれといった産駒を残せませんでした。
世界的に貴重なマンノウォー系の種牡馬だっただけに、何とか血を繋げられれば良かったと思いますが、当時は右を見ても左を見てもサンデーサイレンスという中で、馬産も経済活動という側面の大きさを考えれば、このような結果に終わったのも時代の必然だったように思えます。
ホッカイルソーは去年の10月に31歳で死去しました。大往生でした。
またホッカイルソーのように熱狂して応援できる馬に出会いたいという秘めた思いを持ちながら、今日も競馬の予想をしていきます。

 

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