どうも、通りすがりです。
久しぶりの思い出語りになりますが、今回は少し趣向を変えてお送りしたいと思います。
「熊出没注意」、この言葉をご存知でしょうか。
言葉の通り、熊が出るから注意しろ!ということなのですが、ここでいう熊は動物の熊ではありません。
且つてこの 「熊出没注意」が一面に躍っていたのは、スポーツ新聞の競馬欄でした。
この熊とは、現在は引退されましたが元騎手である熊沢騎手のことを指しています。
熊沢騎手が騎乗する馬が来るかもしれない、来たことによって穴馬券となるかもしれない、そのような時によく使われていました。
そもそもこの言葉が生まれたのは、おそらくですが熊沢騎手が騎乗した馬、ダイユウサクが大本命メジロマックイーンを差し切った有馬記念の際だと思います。
翌日のスポーツ新聞の一面で「熊出没」と書かれていたように記憶しています。
というわけで前置きが少し長くなりましたが、今回は熊沢騎手が騎乗していた3頭の馬について書かせていただきたいと思います。
●ダンシングサーパス
ダンシングサーパスの父、ダンシングブレーヴはイギリスの競走馬で凱旋門賞などを制覇して史上最強馬と言われたほどの名馬でしたが、マリー病という不治の病にかかってしまい、種牡馬入り後数年で日本に輸出されてしまいました。
ただ日本へ輸出された後にイギリスに残された産駒の中からホワイトマズルなどのG1を制覇する競走馬が現れるという皮肉な結果となりましたが、このイギリスで生まれた産駒の中の一頭がダンシングサーパスでした。
ダンシングサーパスは日本でマル外としてデビューしました。デビュー後は熊沢騎手とのコンビでレースを重ね、4歳(現在の3歳)の秋に条件戦を勝ち上がりオープン馬となります。
その後は1200m~2800m(2800mのレースは中京競馬場で行われた阪神大賞典)と幅広い距離、様々なコースのレースへ出走するも勝つことはできずに、G1での成績は1994年の宝塚記念でビワハヤヒデの3着と好走したのが最高でした。
オープン昇格後の勝利はオープンのオーストラリアトロフィーのみで、あとは重賞で2着が5回、3着が4回と勝ちきれない成績でした。
決して弱い馬ではないですが、ジリ脚でなかなか勝ちきれないもどかしい馬であったと思います。
そんなこともありレースではあまり人気になることは少なかったのですが、私はこの馬がお気に入りで出走するレースのほとんどで馬券を買っていたので、おいしい馬券を何度かいただくことができました。
www.youtube.com
●エイシンワシントン
この馬もダンシングサーパス同様マル外の馬で、ダンシングサーパスと同時期に活躍した馬です。こちらは短距離専門の馬でしたが、何度かダンシングサーパスと同じレースに出走しています。その際は熊沢騎手はダンシングサーパスではなくエイシンワシントンに騎乗していました。
デビュー戦以外すべて熊沢騎手が騎乗していますので、まさに熊沢騎手のお手馬といえばこの馬だったのかもしれません。
エイシンワシントンで一番記憶に残っているのは結果的に引退レースとなったスプリンターズステークスをおいて他にないでしょう。
いつも通り逃げの手に出たエイシンワシントンに、その番手についたフラワーパーク。直線に入っても体制は変わらず逃げ切りを狙って逃げ粘るエイシンワシントンに、番手につけていたフラワーパークがジリジリと伸びて差を詰める。
そしてついに馬体を合わせた瞬間がゴール直前で、体勢的にほぼ同時にゴールして、どちらが先着したかわからない状態でした。
そして長い写真判定の末、わずが1㎝差でフラワーパークが1着、エイシンワシントンは2着となり惜敗という結果になってしまいました。
私はエイシンワシントンもお気に入りの一頭で、このレースはエイシンワシントンから馬連で買っていた馬券は的中したのですが、エイシンワシントンが勝ったと信じていたので、2着とレースが確定したときはかなりのショックを受けた記憶があります。
●ステイゴールド
熊沢騎手と言えばどの馬、という質問で出てくる馬の名前は、おそらくG1馬のコスモドリームでもなくダイユウサクでもなくステイゴールドではないかと思います。(私見です)
名前にゴールドが入っているのに現役時代はシルバーコレクターと呼ばれていたステイゴールドは、4歳(現在の3歳)時に900万下(現在の2勝クラス)を勝ったのを最後に約2年8か月の間まったく勝つことはできませんでした。
ただその間にG1で2着4回を記録するなど能力の高さは間違いのないところでしたが、G1以外に出走したG2のレースでも勝てず、強いのか弱いのかわからない馬という印象でした。
そして迎えた2000年5月に行われた目黒記念で、今まで乗り続けていた熊沢騎手から武豊騎手へと乗り替わりとなりました。
そして、そのレースでステイゴールドは見事勝利を飾るのです。スタンドから大きな拍手が起こっていたと記憶しています。
私は当時ステイゴールドがお気に入りだったのですが、熊沢騎手とのコンビでの活躍を期待していただけに、この勝利を見て嬉しかったのと同時に非常に複雑な気持ちになったことを覚えています。
おそらく同じ気持ちになった人も少なくなかったのではないかと思います。
その後、熊沢騎手とのコンビは2度と復活することがなかったのは残念でしたが、ステイゴールドの引退レースとなった香港ヴァーズの直線での追い上げは、見ていて震えるものがありました。
3頭の馬を紹介させていただきましたが、この3頭とも現役時代は私のお気に入りで熱心に応援していました。
今思うと、私は馬を通して熊沢騎手のことを熱心に応援していたのかもしれません。
ちょうど競馬を始めたばかりのころの私に強い衝撃を与えた、「熊出没」したレースの影響があったのかもしれません。
※※※※ランキング参加中です。よろしければクリックで応援をお願いします※※※※