【通りすがりの思い出語り~競走馬編~】メジロパーマー

どうも、通りすがりです。

 

春のG1も残すところ宝塚記念だけとなりましたので、今週より思い出語りはレースではなく競走馬について取り上げていきたいと思います。
誰もが知っているスターホースからあまり知られていないマイナーな馬まで様々語りたい馬がおりますので、お付き合いいただければ幸いです。

 

今週語りたい思い出馬はメジロパーマーです。

 

メジロパーマー
(牡)1987年3月21日生まれ

父:メジロイーグル
母:メジロファンタジー
母父:ゲイメセン

主な勝鞍:宝塚記念(1992年)、有馬記念(1992年)


メジロパーマーと言えばどんなイメージをお持ちでしょうか。
まずはこの馬の代名詞とも言える大逃げ、そして春秋グランプリ制覇でしょう。
そしてもう一つ、主戦であったの山田泰誠騎手を忘れることはできません。
失礼を承知で言えば、山田騎手と言えば他にはエルカーサリバーくらいしか思いつかないくらいの地味な騎手ですが、そんな、山田騎手とメジロパーマーのコンビは、人気馬を後目に大逃げで波乱を演出し続けました。
ただ、そんなメジロパーマーですが、競争生活は順調とは言えないものした。
同期のメジロマックイーンやメジロライアンが早くから活躍していたのに対し、準オープン(現在の3勝クラス)をなかなか勝ち上がれずやっと勝ち上がれたのが5歳(現4歳)の夏でした。
その後、当時はハンデ戦のG3だった札幌記念を勝ち重賞ウイナーの仲間入りを果たしますが、またなかなか勝てないレースが続き、ついには障害レースに出走します。
障害レースはどうしても平地レースで頭打ちになった馬たちが走るレースのイメージが強いですが、メジロパーマーも当時はファンからはそのように思われていたでしょう。
しかし障害レースは2戦で切り上げ平地に戻ってくると、天皇賞(春)に出走します。
あのメジロマックイーンとトウカイテイオーの2強対決で盛り上がったレースですが、そこでメジロパーマーは7着と負けますが、このレースで山田泰誠騎手が初めて手綱を取ります。
次走の新潟大賞典を山田騎手とのコンビで制すると、その勢いのまま出走したのが宝塚記念です。
春の主役たちを欠いた宝塚記念は、天皇賞春と安田記念と今ではあまり見ないローテーションで連続2着と惜敗したカミノクレッセが押し出されるように1番人気でした。
メジロパーマーは前走で重賞を制しているにも関わらず、9番人気とまったく人気がありませんでしたが、後続を引き付ける絶秒な逃げ戦法で終始先頭を譲らずに押し切り、見事G1制覇を飾りました。

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秋には天皇賞秋に出走しますが、同型のダイタクヘリオスと掛かり気味に先行したトウカイテイオーなどに終始絡まれる展開で逃げることができずにブービーと大敗してしまいます。
やはり宝塚記念の勝利はフロックかと思われましたが、同年の暮れのグランプリ有馬記念に出走してきたメジロパーマーは、再度ダイタクヘリオスに絡まれる展開ながらも終始ハイペースでレースを引っ張り、最後の直線ではさすがに脚色が鈍ったものの後続から迫ってきたレガシーワールドの追撃をなんとか凌ぎ切り、見事に春秋のグランプリ制覇を成し遂げました。
ちなみに有馬記念の際の人気は15番人気とブービー人気でした。

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翌年の阪神大賞典を勝ち、天皇賞春では3着と入って、古馬のトップクラスの馬となったメジロパーマーでしたが、その後は成績を落としてしまい、翌年の日経新春杯を60.5キロのハンデで2着として力のあるところを示しましたが、そのレースを最後にターフを去りました。

最初のG1勝利となった宝塚記念での勝利は多くの人からはフロック視されていて、私もその一人でした。
そして2度目のG1制覇となった有馬記念を勝利したときも、フロックは2度はないと言いますが、やはりその実力には半信半疑の人が多かったように思います。
現に翌年の阪神大賞典ではナイスネイチャとタケノベルベットに人気を譲って3番人気でした。
ですが、そのレースでは逃げ込みを図るメジロパーマーに直線でナイスネイチャが並びかけるも先頭を譲らず、内から差し返しての勝利と、実力が本物であることを示しました。

※公式のレース映像がないため、このレースのリンクは貼っていません。申し訳ございません


その後に出走した天皇賞春でも、ライスシャワーとメジロマックイーンの最強ステイヤー2頭に続く3着、且つて手の届かない存在であったメジロマックイーンとは僅差と、このレースでも負けてなおあらためて実力を示しました。

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G1を制した春秋グランプリはもちろん素晴らしいレースであったことは間違いありませんが、私個人的にはこの2レースこそがメジロパーマーの真の実力を発揮したベストパフォーマンスのレースだったのではないかと思います。

また当時まだ若手だった山田騎手がそのコンビとして選ばれたことは、メジロパーマーが活躍するための必然の巡り合わせであったと、今考えるとそう思えます。

 

メジロパーマーは引退後に種牡馬となりましたが、父内国産の種牡馬不遇の時代では特にメジロパーマーのような地味な血統では繁殖相手に恵まれず、障害で活躍したメジロライデンを出すにとどまりました。

メジロパーマーはどちらかというと大逃げなどのイメージがあり、個性派の印象が強い馬ですが、こうしてあらためて戦績を振り返ると間違いなく歴史に名を刻む名馬の一頭だったと思います。

 

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