「親父、大丈夫なのか。」
和也がそう聞くと、和也の父親の孝雄はキョトンとした顔で答えた。
「何がだ。」
「何がって昨日電話したときに体調悪いって言ってたじゃないか。」
和也はそれが気になって、仕事終わりに車を飛ばして実家までこうして来ていた。
「たしかに昨日は少し体調悪かったが今日はもう大丈夫だ。寧ろ元気だよ。」
和也はホッとしたのと同時に、迷惑な話だと少し腹立たしく感じた。
だが生来の性格か、あっけらかんとした様子の父親を見て、その腹立たしさもすぐに消えた。
「伽耶さんに子供達は元気か。」
孝雄は冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぎながら、和也に聞いた。
「元気だよ、子供達もじいちゃんに会いたいって言ってたぞ。」
「それは嬉しいな、今度の連休にでも連れて遊びに来ればいいさ。」
「それと、伽耶がね、、、」
そこまで言うと孝雄はすぐに何を言おうとしたのかを察知して、和也の言葉を遮って言った。
「同居はしないって言っただろう。」
親父は2年前に定年退職して以来、母さんと二人で旅行に行ったり悠々自適の生活をしていたが、母さんが一年前に心筋梗塞で亡くなって以来、ほとんど外に出ることもなく家で一人で過ごしていた。
やはり息子としては心配で、妻の伽耶もそれを気にして、親父との同居をしたらどうだろうと先日提案してくれたのだ。
和也も考えてはいたが、なかなか言い出しづらい話だったので、伽耶からそのように言ってくれて嬉しかった。
「でも親父も一人暮らしだと、なんかあったときに困るだろう。伽耶も心配して同居してもいいと言ってくれているのだから考えみてもいいんじゃないか。」
「気持ちは嬉しいが、元気なうちは一人で居たいんだよ。」
「まあ無理にというわけではないけど。とりあえず少しは考えてみれくれよ。」
「わかった、わかった。それにしてもお前たち兄弟が心配して同居に誘ってくれるのは嬉しいよ。」
和也は孝雄の言った言葉に引っ掛かりを感じた。
「兄弟?俺以外に誰が親父に同居の話をしたんだ。姉貴か?」
「貴子じゃないよ。貴子は仕事一筋だから、絶対そんなことは言わないよ。」
孝雄は苦笑まじりにそう言った。
ならば残るのは一人しかいない。
「里佳子か。里佳子と同居だけは絶対にダメだ。」
「だから誰とも同居しないと言っているだろうに。」
「もし仮に同居するとしても、絶対に里佳子はダメだってことだよ。」
孝雄は和也がムキになって反対することに少し困惑しているようだった。
「なんで里佳子はダメなんだ?」
「里佳子がダメなんじゃない。同居となったら里佳子にくっついてあの旦那とも同居することになるんだぞ。」
孝雄はそこでやっと和也が何を言わんとしているのかを理解した。
「そういうことか。そういえばお前は隼雄くんのこと嫌っているからな。」
和也はさっきよりさらにムキになって言った。
「別に嫌っているわけではないよ。ただ職についてもすぐに辞めて、ほとんど里佳子のヒモみたいな生活をしているのが受け入れられないんだよ。」
「それは夫婦の問題だろう。里佳子がしっかりとした収入があるから隼雄くんは主夫をしているという話だったぞ。里佳子が忙しくて家のこと何もできない分、隼雄くんが主夫してくれるから助かっていると里佳子は言っていたぞ。」
それを聞いて、和也はさらに苦々しげな顔をした。
「そう言って周囲の人間が甘やかすから、あんな堕落した男になるんだよ。あいつ、収入がないくせに毎週里佳子からしっかりお小遣いもらって競馬もしているんだぜ。正月あったときなんか、有馬記念3連単で万馬券とったなんて自慢してくるし、ほんと腹立つ。」
孝雄は和也のあまりの剣幕にそれ以上言い返すのはやめた。
「とにかく、今は誰とも同居するつもりはないから。この話はもうおしまいだ。」
和也はまだ言い足りなかったが、孝雄がもうこの話を続けたくない様子を感じ取って言うのをやめた。
「わかったよ。でも同居する気になったら俺にまず相談してくれよ。」
「ああ、そうするよ。」
その時、孝雄は和也の目の前に置かれている競馬新聞が目に入った。
「おっ、そう言えば今週は皐月賞があるな。」
「そうだな。親父も競馬まだ毎週やっているのか。」
「ああ、俺の唯一の趣味だからな。」
実は和也が競馬好きになったのは孝雄の影響が大きかった。
「じゃあ、親父はもう皐月賞何買うか決めたのか。」
「だいたいはな」
「何を買うんだ。」
孝雄はふっと一息ついてから話はじめた。
「実はな、一頭記憶に残っている皐月賞馬がいてな。」
「おっ、なんだ。もしかしてトウショウボーイとか。」
孝雄はそれを聞いて苦笑いして応えた。
「さすがにトウショウボーイが走っていたころはまだ競馬していなかったよ。」
「そうじゃなくて、最近の馬だよ。」
「なんだろう。全然わからないな。」
「実はなドゥラメンテなんだよ。」
「おっ、ドゥラメンテか。たしかにあの皐月賞の勝ちっぷりは強烈だったな。」
「そうなんだよ。あのレース見て今年の3冠はドゥラメンテで決まりだなって思ったくらいだからな。」
「菊花賞は出れなくて3冠馬にはなれなかったけど、ダービーも強い内容で勝ったしな。」
和也はそこでピンと来た。
「なるほど、つまりドゥラメンテ産駒を買うってことか。そうなると狙うのは、、、ミスタージーティーか?」
それを聞いた孝雄はニヤッと笑った。
「お前は意外と単純なやつだな。そういうことじゃない。今年の皐月賞にもドゥラメンテのような強烈なレースをしそうな馬がいるってことだよ。」
「どの馬だよ。」
「ジャスティンミラノだよ。」
「ジャスティンミラノ、、、たしかに前走の共同通信杯はデビュー2戦目とは思えない強さで2歳王者に完勝だったな。」
「そう、あの強さがもし本物ならば、皐月賞でもすごいレースを見せてくれるはずだよ。」
「なるほどね。」
「お前は何を買うのかもう決めているのか。」
「まだだよ、これからゆっくり考えるよ。それにしても腹が減ってきたな。」
「じゃあいつもの店に飯食べに行くか。」
孝雄が言ったいつもの店とは、和也が子供の頃かある近所の中華料理屋のことだ。
「そうだな、久しぶりにあの店のラーメンとチャーハンが食べたいな。」
「じゃあ行くか。準備するからちょっと待っててくれ。」
そう言って孝雄は奥の部屋に歩いていく。
そんな孝雄の背中を見送ってから、和也は置かれていた競馬新聞を手に取り一頭の馬に赤丸を付けた。