【通りすがりの短編小説】オークス

異形の化け物たちが迫りくる。”私”は唯一の武器である剣を構えて化け物たちに立ち向かう。間合いを見計らって剣を振ると、切れ味鋭く化け物たちを切り裂いた。異形の化け物たちは人とは異なる青い血を切り口から吹き出しながら倒れていく。だがいくら切っても異形の化け物の数はなかなか減らない。異形の化け物からの攻撃もすべて避けきることは難しく”私”も徐々にダメージが溜まっていく。

横でその様子を見ていた和也は「魔法を使って一掃するんだ」と叫んでいた。

「わかっているよ」と煩そうに返事をする和生は手に持ったスマホを忙しなく操作し続けている。

スマホの画面から光が溢れ出した。和生が魔法を使ったのだ。

「よし、いいぞ」

和也がスマホを覗き込みながらそう言った時、菜生を寝かせにいっていた伽耶がいつの間にか戻ってきて二人の後ろに立っているのに和也は気づいた。まずいと思ったがもう遅い。

「ちょっと、あなた、和生にこんな変なゲームやらせないでよ」

案の定、その口調は普段のおっとりとしたものとは異なる強いものだった。

「ごめん、和生が少しだけやらせてほしいと言うから」

和生はそんな伽耶の声が聞こえないほど夢中でゲームをやっているが、そのスマホを問答無用で伽耶は取り上げた。

「ちょっと、いいところなのに」

不満そうに母親である伽耶に文句を言うが、「誰がゲームやっていいって言ったの」と一喝されて、一転して怯えるような顔をして和也に助けを求める視線を送ってきた。

だが和也はそんな和生の気持ちを無視して「だからもう止めろって言っただろう」と伽耶に同調して和生を叱った。

伽耶は和生から取り上げだスマホを和也に差し出した。それを黙って受け取る和也に不満そうな顔を向ける。

「そもそもなんでこんなゲーム、あなたのスマホに入っているの。前に子供たちに悪影響だからこういうゲームはやらないでってお願いしたはずだけど」

伽耶からの冷たい視線に耐えきれず和生のほうを見るが、さきほど裏切られた和生からも同じように冷たい視線が向けられていた。

伽耶の機嫌が悪いときは、どんな無駄な抵抗をしてもいい結果に繋がらないことは今までの経験から和也にはわかっていた。

苦笑いを浮かべて「どうも、すみませんでした」と素直に謝った。

 

和生が部屋に眠りに行って、リビングには和也と伽耶の二人になっていた。

少し気まずい思いで居心地の悪さを覚えていた和也だったが、伽耶はいつもと同じ様子で和也に聞いてきた。

「明日、空港には何時に行くの」

伽耶の機嫌が直っていることに和也はホッとした。

「達哉の飛行機が到着するのが11時って言っていたから、それまでには着くように行こうと思うよ」

達哉とは和也の2つ年の離れた従兄弟だ。今は仕事の関係で沖縄に住んでいるが、明日こっちに遊びにくることになっている。今年の正月は仕事の都合で達哉は帰ってこれなかったから、1年以上会っていない。明日は土曜日で和也も仕事が休みだから空港まで迎えに行くことになっている。

「夜はうちでご飯食べるんだよね」伽耶が子供たちが散らかしたところを片付けながら和也のほうを見た。

「そうだな。達哉は独身で外食ばかりで家庭の味に飢えているはずだからな」

すると伽耶の表情が少し曇る。

「そう言われるとプレッシャーなんだけどな」

「大丈夫、あいつは昔から何を食べてもおいしいと言うから、そんなに重く考えなくてもいいよ」

すると、伽耶は再び機嫌の悪い顔になってしまった。

「私が作る料理がおいしくないみたいな言い方ね」

和也は瞬時に余計なことを言ったと理解し、しまったと思ったが、言ってしまったものはもはやどうにもならない。

「いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな」

和也は何とか言い訳を言おうとするが、伽耶はそんな和也の横を通り抜けて、「もう寝ます」と一言だけ言って部屋を出て行ってしまった。

和也は今日はなんかうまくいかない日だと頭を右手で搔きむしった。

 

「ご馳走になったうえにホテルまで送ってもらって申し訳ないね」

助手席に座る達哉は全然申し訳なさそうな顔をしているので、和也は苦笑いした。

「別に構わないよ、ホテルもそんなに遠くではないし」

信号が青に変わったのを確認してアクセルに乗せた右足に力を込める。土曜の夜のため道は空いている。この分ならあと10分もあれば目的地のホテルに着くはずだ。

「和さん、気のせいかもしれないけど、伽耶さんとケンカしてる」

和也は突然そう言われ、動揺してしまい言葉が出てこなかった。

その様子を見た達哉はニヤニヤとした笑い顔になった。

「図星だったかな」

「いや、ケンカというわけじゃなくて、、、ただ伽耶が一方的に怒っているというか」

和也は昨夜あったことを達哉に話した。

「なるほど、火に油を注いじゃったか」

「そうなんだよ。たぶん、普段なら聞き流せるようなことだったのかも知れないけど、マズいタイミングで余計なことを言ったもんだよ、我ながら」

そう言ってハンドルから片手を離して頭をガシガシと掻く和也を見て、達哉は申し訳なさそうな声になった。

「なんか、そんなときに悪かったね。しかも原因は俺にありそうだし」

「別にお前が原因じゃないから気にすることはないよ。それに伽耶は怒りが持続しないタイプで明日にはきっと機嫌が直っているはずだから大丈夫だよ」

「ならいいけどね」

まだ心配そうな顔をしている達哉に和也は笑いかけた。

「明日は菜生のピアノの発表会だから、さすがに機嫌悪いことはないよ」

「そういえばさっきもそんな話してたね」

「ほんとは明日もお前に付き合ってやりたいんだけど。悪いな」

達哉は明日東京競馬場に行くのが目的で、今回東京に来ていた。達哉も和也に負けないくらい競馬好きだ。

「俺より菜生ちゃんのピアノのほうが絶対に大事だ。それに元々競馬場は1人で行く予定だったから大丈夫だよ。競馬の生観戦なんて久しぶりなのに、それがオークスなんて楽しみだよ」

「もうオークスか。月日の経つのはほんと早いね」

「なんか和さん言うことがおじさんくさくなってない」

「もう立派なおじさんだからいいだろ。それよりオークスは何を買うのか決めてるのか」

達哉は後部座席に置いてあった自分のカバンを引き寄せ、中から嬉しそうに新聞を取り出した。

「実は一頭狙っている馬がいるんだよね」

「おっ、どの馬だ」

ちょうど信号が赤だったので車を停止させ、達哉の持つ新聞を覗き込む。

すると一頭の馬の名前に赤丸が付けられているのが見えた。

 

"コガネノソラ"

 

「黄金の空、いい名前だよね。もしこれがゴールドスカイだったら何とも思わなかったかもしれない」

「たしかにそうだな」和也は納得できるとばかりに首肯した。

「良かったら和さんの分も買おうか」

和也は今度は首を横に振った。

「あれ、言ってなかったか。俺、今馬券は買わないことにしてるんだよ」

達哉は意外そうな反応をしている。

「へぇ~そうなんだ、どうして買わないの」

「まあいろいろあってね、ただ馬券は買わないけど予想だけはしてるよ」

達哉は首を傾げながら笑った。

「予想してるのに馬券買わなくて、それって楽しいの」

和也はその言葉を聞いて苦笑した。

「この話すると必ずそう言われるよ」