どうも、通りすがりです。
今ではダービー最多勝利となる6勝を記録している武豊騎手ですが、1996年当時はまだダービーを勝ったことがありませんでした。ですがそんな中、武豊騎手がついにダービージョッキーになるのではないかと思わせる馬が現れました。
その馬とははダンスインザダークです。
全姉にオークス馬のダンスパートナー、そして長距離重賞で活躍したエアダブリンを半兄に持つダンスインザダークは、弥生賞を制し主役の一頭としてクラシック初戦の皐月賞を迎えます。ただ残念なことに熱発を発症して直前に皐月賞は回避。その後、ダービートライアルのプリンシパルステークスを使ってダービーへと向かいます。
ダービーを万全の状態で迎えたダンスインザダークは直線では早くも先頭に躍り出て、そのまま押し切るかと思われましたが、一貫歩づつ差を詰めてきてゴール前にダンスインザダークを差し切った馬がいました。それは音速の貴公子と呼ばれたフサイチコンコルドでした。あと少しのところで武豊騎手の悲願のダービー制覇は夢と消え去ってしまったのです。
実は勝ったフサイチコンコルドも、ダービー前に出走を予定していたプリンシパルステークスを熱発で回避していました。
そんな熱発がブーム(?)の中で、この春のクラシックを熱発で回避していたもう一頭の馬がいました。
それはエアグルーヴです。
3歳時(現2歳)に出走したいちょうステークスで絶望的な不利を受けたのにも関わらず、それでも勝利した衝撃的なレースで能力の高さを見せていたエアグルーヴは、年明けのチューリップ賞で3歳女王のビワハイジを退け、断然の主役として桜花賞を迎えようとしていました。
ただ桜花賞の数日前に熱発してしまい、無念の回避となってしまいました。
その後順調に回復し、そして迎えたのがオークスです。
桜花賞の回避からこのオークスはより負けられない一戦となりました。ライバルとしてはエアグルーヴ不在の桜花賞を勝利したファイトガリバーなどがいましたが、レースでは危なげない内容でファイトガリバーを抑え快勝し、見事にオークス馬となりました。
エアグルーヴの母のダイナカールもオークスを制していたため、母娘制覇の偉業達成でもありました。
そんなエアグルーヴの物語はここでは終わりません。寧ろここから始まったと言ってもいいでしょう。
最近では牝馬が2000m以上の混合のG1で勝利するのは珍しくありませんが、当時はそのような馬はほとんどいませんでした。
ニシノフラワーやダイイチルビー、ノースフライトなど混合のG1を勝つ牝馬もいましたが、全てがマイル以下の距離によるものです。
エアグルーヴは古馬になってからも現役を続け、牡馬相手に中距離でのレースへ出走し、互角以上のレースを続けることになります。
特に1997年の天皇賞秋では、バブルガムフェローなどのG1馬を相手に見事な勝利をおさめ、牡馬も含めた中でもトップクラスの一頭と認識されるまでなりました。
ちなみに牝馬による天皇賞の制覇はプリティキャストが勝った天皇賞から17年ぶりとなります。
天皇賞の勝利後はG1での勝利はありませんでしたが、宝塚記念や有馬記念での3着、ジャパンカップの2着などの成績をおさめました。
その後、1998年の有馬記念の5着を最後に引退し繁殖入りしましたが、繁殖入り後もアドマイヤグルーヴやルーラーシップなどの数々の名馬をターフに送り続けました。
牝系はまだまだ続いているので、いつかまたこのファミリーからとんでもない大物が生まれるかもしれません。
サンデーサイレンスの登場が日本競馬を世界に近づけたというふうに言われることがありますが、私はこのエアグルーヴの天皇賞秋の勝利こそが日本競馬が世界へと近づくエポックメイキングな出来事であったと思っています。